ドン・キホーテの成功

2010年頃から「激安の殿堂」が「驚安の殿堂」に変わった。地元本八幡のドン・キホーテ

日本経済専門メディアJapanOllの編集者リー・ジェウ氏が、11月4日、ドン・キホーテの日本における成功を記した。

「泥棒市場」奇名がもたらした成功

ドン・キホーテは日本の有名なディスカウントストアだ。ディスカウントストアとはいえ、生活用品からブランド品まで様々な商品を取り揃えている。

韓国の新世界グループがコエックス(ソウル市内の大型コンベンション・センター)にドン・キホーテをベンチマークした「ピエロショッピング」をオープンし、ドン・キホーテが再び注目されている。

ドン・キホーテはその名の通り、突拍子もない戦略を展開して成功した会社と評価されている。現在は持ち株会社のドン・キホーテ・ホールディングスがドン・キホーテを抱えている。

ドン・キホーテといえば、安田隆夫社長(70歳)抜きには語れない。 安田社長の「泥棒市場」 安田社長が18坪余りの泥棒市場(道路ボーイ市場)という小さなディスカウント・ショップをオープンしたのは1978年だ。 泥棒市場は、1989年にドン・キホーテという新しい看板を掲げて勢いに乗った。

2015年6月決算期で、ドン・キホーテの年間売上高は7兆580億ウォン(約6,564億円)、営業利益4000億ウォン(約372億円)に達したという。ドン・キホーテ1号店のオープン以来、26年連続売上増という驚異的な記録も達成した。

安田社長は初めからうまくいっていたわけではない。慶応大学法学部を卒業した彼は、大学時代もっぱらマージャンなどを楽しみ、学業に打ち込まず暮らしていた。5年ぶりに辛うじて卒業した彼の前に試練が立ちはだかった。

卒業後に小さな不動産会社に就職したが、第1次石油ショック(1973年)勃発により会社が倒産し、失業者になってしまったのだ。 マージャンでほそぼそと生計を立てていたが、偶然ディスカウントストアの世界に飛びこむようになった。専門的な技術も、知識もなかった彼だが、泥棒市場というディスカウントストアは誕生した。

泥棒市場という奇抜な名前について安田社長は「人目に目立ちたかったら」と述べ、大手メーカーから傷もの、返品されたもの、わけありのものなどを持ちこんで売った。たくさんのがらくたが店をあっという間に埋めつくした。

ドン·キホーテの特徴 ジャングルそして迷路・圧縮陳列

ドン·キホーテの看板には「激安の殿堂」と掲げられている。 激安とはとてつもなく安い価格という意味だ。ドン・キホーテの特徴は、まさに「ジャングル」と「迷路」だ。

売場を訪れると目まぐるしいほどだ。 冗談を言うと道に迷うことさえある。

ドン・キホーテ売り場はわざと商品を散らかし、空スペースをなくし商品をぎゅうぎゅう詰めにする。 これを「圧縮陳列」という。 店員でさえ、品物がどこにあるのかわからないほどだ。 (引用略)

安田社長の逆発想

無知なのか、無謀なのか、逆発想の礎さえなかった。 安田社長は「小売店管理の常識は商品を探しやすく、取りやすく、買いやすくすることだが、私は正反対に商品が探しにくく、取りづらく、買いづらくなる店づくりをしなさいと従業員に指示した」と語った。

看板商品を教科書通り、完璧に整理し陳列している売場には、「ショッピングの楽しさがない」というのだ。このような商品陳列方法と廉価販売ノウハウは1989年3月東京首都圏に1号店を開いたドン・キホーテにそのまま踏襲された。

注目すべきは、今や日本の流通業界が逆にドンキ・ホーテの戦略をベンチマーキングしているということだ。常識を覆した安田社長の考えが成功したわけだ。 (http://www.japanoll.com) http://www.japanoll.com/news/articleView.html?idxno=579

異色の起業家が生んだドン・キホーテ

ドン・キホーテはなにかと話題になるお店です。なぜか「韓国系企業」というデマがまかりとおっています。そのデマのルーツは在日韓国人に「安田」姓が多いとか、ソウル明洞地区の混とんとして魅力ある小売店売場のような雰囲気を持ち、店内ハングル放送が流れ、店舗に若者や外国籍の方々が目立つのが理由でしょうか。

創業者の安田隆夫氏は慶應義塾大学法学部卒業ですが、在学中は麻雀、パチンコ、ボクシング、沖仲士(港湾労働者)に明け暮れたという異色の人物です。記事にあるように麻雀の腕もプロ級です。

カートンを開いて陳列

一般的に麻雀の上級者は、頭の中で自分の手牌が整理されていて、盲牌をしている間も、相手の手牌を常に見続け、その手を想定しながら大局観に合わせた打ち方をする。

しかしこれは勝つための必要条件であっても、十分条件ではない。少なくともこのレベルでは、麻雀でメシを食うのはまず無理である。相手の牌を見るだけでなく、相手の表情を観察しながら打つ領域に達しなければ、安定・確実な勝利をモノにすることはできない。

対戦相手の表情のわずかな変化が、その手牌を想定させるに十分な根拠を与えてくれる。だから私は勝てた。

(出典元:ドン・キホーテ闘魂経営-ゼロから始める成功の極意 徳間書店/安田隆夫・月泉博共著)

安田氏のこの言葉からは、すくなくとも麻雀牌の裏面に触れただけで136種の牌の何たるかを読み取り、自分の手などそっちのけで、相手の捨て牌と表情に集中していたことがわかります。成功した小売店経営においても、たしかに常識を覆した店づくりでした。

深夜営業の先駆けとなった不夜城のような店舗、迷路のような狭い通路と天井に迫る高いゴンドラ(店舗棚)やPOP広告を施され積み上げられたカートンは従来の店舗にはないものでした。

センスの良い品揃え(品質や耐久性までは保証の限りではありませんが)と価格の安さ、たまに出現するお得感の半端ない特売品、気前の良さ(おつりの1円銭をお返し、レジ袋は大きめのものを余計に)、マジカカードのランク特典サービス、宝くじやコンテスト等さまざまな独自の工夫からか長引く不況にかかわらず、独り勝ちと言っても良い好調を維持しています。

放火事件を乗り越えて

天井までの陳列は鳴りを潜めた

過去(2004年12月13日~15日)には同一犯(40歳代女性)による放火事件があり、浦和花月店では店員3人が焼死、負傷者8人を出して大惨事となりました。

この事件から消防法を遵守し、避難路の幅(1.2メートル)を確保、非常口を示す標識を適正に設置、商品の適正な高さを保持したのです。 ところが、2008年7月にドン・キホーテ東名横浜インター店の店内にガソリンをまいて火をつけようとした放火未遂の男が逮捕されました。

男は放火直後の信用失墜による大暴落を見込んで、ドン・キホーテ株式を空売りし、暴落した株式を買い戻して利益を得ることが目的だったそうです。2004年の事故のように死傷者が出る大惨事にならなかったのが不幸中の幸いでした。

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